これまでの人生でいちばん笑えたこと

犬の散歩をしているときのこと、ある家の庭で、上は小学校1年生くらい、下は幼稚園児と思われる姉妹が遊んでいました。

「ねえ、ねえ、お姉ちゃん、浣腸しよう!」

「いいよ」

妹は両手を組んで人差し指を伸ばし、姉の背後にしゃがみました。「カンチョー!」二人の笑い声が響きます。

「じゃあ、今度は私の番ね、カンチョー!」

これで終わりではありませんでした。

「ねえ、お姉ちゃん、今度はお尻を開いて本当に浣腸しよう!」

「いいよ」

姉は相撲取りがしこを踏むような格好をしました。

「カンチョー!」

さっきよりも大きな笑い声が響きます。次が姉の番になったことは、言うまでもありません。

これが行われている間、その家の前に立っている電柱の根本の臭いをかぎ続けていたうちの犬はえらいと思いました。

『太ったんでないのッ!?』阿川佐和子、檀ふみ

阿川佐和子さんは、恵まれた環境でお育ちになったように見受けられますが、庶民的な人なんですね。少し高い買い物をした後で必ず後悔して罪悪感に苛まれたり、モノを大切にしすぎるほど大切にしたり。

檀ふみさんは、筋金入りのお姫様なんですね。贅沢が大好き。それも、形に残らない贅沢が好きという、本格的な贅沢者。

阿川さんを好む人が多いかもしれないけど、僕は檀ふみさんが好きです。美人で知的で上品で、すこし嫌味っぽいところが好きです。

『ああ言えばこう言う』や『ああ言えばこう食う』と同じ形のエッセイで、二人の漫才のような掛け合いが楽しい本です。

『50代からしたくなるコト、なくていいモノ』岸本葉子

たしか、日曜日に早起きしてNHKをつけると、岸本葉子さんが俳句の番組の司会を務めていますよね。ゆっくり、のんびりとした語り口は、のろまな私には好印象です。早口でまくし立てる、私の妻のような人には、ややもするとモタモタした口調にイライラさせられるかもしれませんが、私は好きです。

ゆったりした文章で、基本的に楽しいのですが、どこか暗さが付きまといます。どうしてなんだろう、と不思議に思っていたら、最後まで読んで納得しました。40歳で癌を経験しているんですね。それも虫垂癌という、見つけにくい癌で、手術後に生き残れる確率は3割だったそうです。何もかもさらけ出して爆笑を誘うエッセイストとは一線を画すようになって当然です。

私ももうすぐ50歳なので、この先どのように生きて行くべきか、老いとどう向き合うべきなのか、そういったことを学ばせてもらうかなと思ったら、そういう内容ではありませんでした。でも、さすがは定評のあるエッセイストですね。初めて読みましたが、どんどん引き込まれて、一気に読んでしまいました。

腐っても鯛、年老いてもポール・マッカートニー

先日、ポール・マッカートニーを見に行ってきました。

 

最初は期待していませんでした。だって、76という高齢ですよ。声が出るのかなって疑いたくもなるでしょう。声域も狭まって、声量も落ちているだろうと思っても仕方ないいよね。

 

ところがどっこい、ポールはスーパースターでした。

 

ビートルズの曲を歌っているときは、「痛い」と感じました。どうしてもアルバムと比べてしまいますから、ド素人の僕にも分かってしまうんです。若い頃とはやっぱり違います。高音は出てないし、声のハリというのか、ノビというのか、そういうものがないんです。

 

でもね、味があるんですよ。新曲はいい感じでした。さすが、いい曲を作るなって思いましたね。この年齢になっても、いい曲を作り続けられるポールは偉大です。ギターはもちろん、ピアノもウクレレも弾いてくれるし。それに、76のお爺ちゃんが、ちゃんとシャウトするんですよ。2時間以上も歌い続けて疲れているだろうに、最後に大声を張り上げて盛り上げるところは、さすがスーパースターだなって感じでしたよ。

 

そのスーパースターを前にして、よだれを垂らしながら居眠りしている僕の妻は、ポールに負けない大物かな。

 

とにかく、若い女の子を40人も50人も集めて口パクさせてる奴らとは違うよ。そんな奴らとポールを同じ土俵に上げてしまう僕が大馬鹿というものか。

少し飽きてきたかな

僕には、ある著者が気に入ると、その著者の本を読み続けるという癖があります。最近は阿川佐和子さんと檀ふみさんにはまって、この二人の本を読み続けていますが、ちょっと飽きてきたかな。

若かった頃には飽きるということがなくて、気に入った著者の本はすべて読んでいたけど、年を取るにつれて集中力がなくなってきたというか、いろいろなことに関心が向くようになってきました。檀ふみさんの、品と教養を兼ね備えたエッセイにはまだ興味があるけど、阿川佐和子さんの自分をネタにして人を笑わせる、自分を犠牲にするというか、自分をさらけ出すエッセイは少しおいといて、他の著者を探してみようかなという感じです。

阿川佐和子さんのエッセイを初めて読んだときは笑えたのに、『トゲトゲの気持』はなぜか笑えなかったんですよね。他の人たちはどう感じているんだろうと思って、アマゾンのレビューを確認したら、女性は共感することが多いようです。『婦人公論』に連載していたエッセイをまとめた本だから、女性向けに書かれているのかな。

もう少し阿川佐和子さんの本を読みつつ、他の著者を探すとするか。

『ああ言えばこう行く』は、ちょっと行きすぎではないか

『ああ言えばこう食う』に続く往復エッセイです。そこまで言って大丈夫なのか。辛辣すぎるのではないか。なんて、おせっかいな要らぬ心配をしてしまうというか、ちょっと行きすぎているのではないかと疑ってしまいます。読者を楽しませるために、わざと突拍子もない掛け合いをして、お互いに心の中で辛抱を重ねているのではないかな。そのうちに堪忍袋の緒が切れるではないかな。いくら読者を楽しませるためでも、そこまでしなくても良いのではないかな。読後の正直な感想はそんなところです。

でも、アマゾンのレビューによると、女性からは支持されているようです。いや、僕も支持していないわけではないですよ。とても楽しませていただきましたし、お奨めのエッセイであることに違いはありません。まあ、僕のありがた迷惑な心配は、僕が男だから抱くのかもしれない、と、アマゾンのレビューを読むと、そう思います。老弱男女、たくさんの人の意見を聞いてみたいですね。

阿川佐和子さんは、爆笑してもらうことを信条としてしているところがあって、他のエッセイを読んでも、ガハハと思わず笑いたくなってしまいます。この2冊の往復エッセイよりもトーンは下がりますが、どのエッセイも同じように笑えます。

檀ふみさんは、『父の縁側、私の書斎』のように、しっとりとした、落ち着いたエッセイを書きながら、このような爆笑エッセイも書く、不思議な人ですよね。いろいろな文章を書けることが檀ふみさんという人間の深みというか、魅力なのかもしれませんが、『父の縁側...』のときと爆笑エッセイのときは、別人格なのではないかと思ってしまいます。

お二人とも魅力的であることは確かです。悪口を言い合っているようでいて、相手に対する思いやりが感じられて、お二人とも芯は優しい人のようですし、教養も品の良さも随所にみられます。何でも言い合える友人を持ったお二人がうらやましいですね。

老化現象を歌う

沢田研二さんの「勝手にしやがれ」という曲をご存じでしょうか。阿久悠さんが作詞して、大野克夫さんが作曲しました。40代後半以上の方はご存じだと思いますが、ご存じでない方はYouTubeなどで確認してから読んでください。この曲に合わせて老化現象を歌ってみました。

 

壁際に寝返りうつと
枕に落ちている
やっぱりお前は抜けて行くんだな

悪い事ばかりじゃないと
残りをかき集め
おでこを隠す気配がしてる

抜けた髪の毛、また生えてくればいい
戻る君ならいつでもおいでよ

せめて少しはカッコつけさせてくれ
残った白髪ぐらい
染めさせてくれ
あーあ

育毛剤のボトルを抱いて
鏡の前に立つ
髪の毛ふらふら抜けるの見える

さよならと言うのもなぜか
白けた感じだし
あばよとさらりと送ってみるか

別にふざけて笑わせたわけじゃない
カツラかぶるの照れてただけだよ

夜というのに派手に育毛剤かけて
朝まで夢見よう、ふさふさの髪