腐っても鯛、年老いてもポール・マッカートニー

先日、ポール・マッカートニーを見に行ってきました。

 

最初は期待していませんでした。だって、76という高齢ですよ。声が出るのかなって疑いたくもなるでしょう。声域も狭まって、声量も落ちているだろうと思っても仕方ないいよね。

 

ところがどっこい、ポールはスーパースターでした。

 

ビートルズの曲を歌っているときは、「痛い」と感じました。どうしてもアルバムと比べてしまいますから、ド素人の僕にも分かってしまうんです。若い頃とはやっぱり違います。高音は出てないし、声のハリというのか、ノビというのか、そういうものがないんです。

 

でもね、味があるんですよ。新曲はいい感じでした。さすが、いい曲を作るなって思いましたね。この年齢になっても、いい曲を作り続けられるポールは偉大です。ギターはもちろん、ピアノもウクレレも弾いてくれるし。それに、76のお爺ちゃんが、ちゃんとシャウトするんですよ。2時間以上も歌い続けて疲れているだろうに、最後に大声を張り上げて盛り上げるところは、さすがスーパースターだなって感じでしたよ。

 

そのスーパースターを前にして、よだれを垂らしながら居眠りしている僕の妻は、ポールに負けない大物かな。

 

とにかく、若い女の子を40人も50人も集めて口パクさせてる奴らとは違うよ。そんな奴らとポールを同じ土俵に上げてしまう僕が大馬鹿というものか。

少し飽きてきたかな

僕には、ある著者が気に入ると、その著者の本を読み続けるという癖があります。最近は阿川佐和子さんと檀ふみさんにはまって、この二人の本を読み続けていますが、ちょっと飽きてきたかな。

若かった頃には飽きるということがなくて、気に入った著者の本はすべて読んでいたけど、年を取るにつれて集中力がなくなってきたというか、いろいろなことに関心が向くようになってきました。檀ふみさんの、品と教養を兼ね備えたエッセイにはまだ興味があるけど、阿川佐和子さんの自分をネタにして人を笑わせる、自分を犠牲にするというか、自分をさらけ出すエッセイは少しおいといて、他の著者を探してみようかなという感じです。

阿川佐和子さんのエッセイを初めて読んだときは笑えたのに、『トゲトゲの気持』はなぜか笑えなかったんですよね。他の人たちはどう感じているんだろうと思って、アマゾンのレビューを確認したら、女性は共感することが多いようです。『婦人公論』に連載していたエッセイをまとめた本だから、女性向けに書かれているのかな。

もう少し阿川佐和子さんの本を読みつつ、他の著者を探すとするか。

『ああ言えばこう行く』は、ちょっと行きすぎではないか

『ああ言えばこう食う』に続く往復エッセイです。そこまで言って大丈夫なのか。辛辣すぎるのではないか。なんて、おせっかいな要らぬ心配をしてしまうというか、ちょっと行きすぎているのではないかと疑ってしまいます。読者を楽しませるために、わざと突拍子もない掛け合いをして、お互いに心の中で辛抱を重ねているのではないかな。そのうちに堪忍袋の緒が切れるではないかな。いくら読者を楽しませるためでも、そこまでしなくても良いのではないかな。読後の正直な感想はそんなところです。

でも、アマゾンのレビューによると、女性からは支持されているようです。いや、僕も支持していないわけではないですよ。とても楽しませていただきましたし、お奨めのエッセイであることに違いはありません。まあ、僕のありがた迷惑な心配は、僕が男だから抱くのかもしれない、と、アマゾンのレビューを読むと、そう思います。老弱男女、たくさんの人の意見を聞いてみたいですね。

阿川佐和子さんは、爆笑してもらうことを信条としてしているところがあって、他のエッセイを読んでも、ガハハと思わず笑いたくなってしまいます。この2冊の往復エッセイよりもトーンは下がりますが、どのエッセイも同じように笑えます。

檀ふみさんは、『父の縁側、私の書斎』のように、しっとりとした、落ち着いたエッセイを書きながら、このような爆笑エッセイも書く、不思議な人ですよね。いろいろな文章を書けることが檀ふみさんという人間の深みというか、魅力なのかもしれませんが、『父の縁側...』のときと爆笑エッセイのときは、別人格なのではないかと思ってしまいます。

お二人とも魅力的であることは確かです。悪口を言い合っているようでいて、相手に対する思いやりが感じられて、お二人とも芯は優しい人のようですし、教養も品の良さも随所にみられます。何でも言い合える友人を持ったお二人がうらやましいですね。

老化現象を歌う

沢田研二さんの「勝手にしやがれ」という曲をご存じでしょうか。阿久悠さんが作詞して、大野克夫さんが作曲しました。40代後半以上の方はご存じだと思いますが、ご存じでない方はYouTubeなどで確認してから読んでください。この曲に合わせて老化現象を歌ってみました。

 

壁際に寝返りうつと
枕に落ちている
やっぱりお前は抜けて行くんだな

悪い事ばかりじゃないと
残りをかき集め
おでこを隠す気配がしてる

抜けた髪の毛、また生えてくればいい
戻る君ならいつでもおいでよ

せめて少しはカッコつけさせてくれ
残った白髪ぐらい
染めさせてくれ
あーあ

育毛剤のボトルを抱いて
鏡の前に立つ
髪の毛ふらふら抜けるの見える

さよならと言うのもなぜか
白けた感じだし
あばよとさらりと送ってみるか

別にふざけて笑わせたわけじゃない
カツラかぶるの照れてただけだよ

夜というのに派手に育毛剤かけて
朝まで夢見よう、ふさふさの髪

檀ふみさんは奥が深い

檀ふみさんは、『父の縁側、私の書斎』というエッセイを『ああ言えばこう食う』とほぼ同じ時期に書いていますが、この2冊、趣がまるで違います。しっとりとしたと言うか、落ち着いた雰囲気の文章です。読んでいて心が洗われる気がします。教会で十字架にはり付けられたキリスト像の前に膝をついて涙を流す、というほどまで心が清らかになるわけではありませんが、読んでいると嫌なことをすべて忘れられます。ふふふ、と笑みがこぼれるような、そこまで言うか、と驚くような、楽しい文章も書ければ、こんな風情のある文章も書ける檀ふみさんは、奥が深い、魅力的な女性なのでしょう。

こんなに魅力的な女性がなぜ独身なのでしょうか。周りにいる男どもの目は節穴なのではなかろうか。ウィキペディアによると、檀ふみさんは若い頃ラブレターを送ったけれども、返事をもらえなかったそうです。相手の男は、「コーヒーギフトはAGF」というあのコマーシャルを見たことがないにちがいない。NHKの「連想ゲーム」で檀ふみさんが活躍していたのを見ていなかったのか? 可愛らしさと美しさを持ち、教養もセンスも備えた檀ふみさんをふるか?! こんなに素敵な女性を幸せにしてあげたいとは思わないのか? そんな奴は馬鹿たれだ! と怒りがこみ上げてきますが、そのお相手は現在、フジテレビの取締役だそうです。立派な人物ではないですか。たぶん、檀ふみさんの長身に怖気づいた小男に違いない。

もしも檀ふみさんからラブレターをもらったら、僕は岩崎宏美さんの「ロマンス」です。

もしもとべるなら
とんでついて行く
たとえ嵐でも
たとえ遠くても
あなたが好きなんです

ラブレターをもらって、ほいほい付いて行く僕の方が馬鹿たれかな。

腰痛にお悩みの方に朗報です。

アンドルー・ワイル博士が健康について書き連ねている本の中で、アメリカの整形外科医John E. Sarno氏の『Healing Back Pain』という本を紹介していました。読むだけで腰痛に効くという触れ込みでした。

 

そんな馬鹿な、と疑っていましたが、本なんてたかが数千円だから、騙されたと思って読んでみました。そしたら、効いたんですよ、本当に。まったく痛みが消えたわけではないし、機敏な動きをするのはまだちと怖いけど、とても楽になりました。

 

Sarno氏は仕事柄、いろいろな患者さんの写真を撮っていました。CTとかMRIとかです。腰痛以外のことで写真を撮ったけど、腰の部分の写真を見ると、この患者さんは間違いなく腰痛に苛まれているだろうと思われるのに、聞いてみたら当人はケロリとしていたり、別の患者さんが腰痛を強く訴えるから写真を撮ってみても、椎間板にも腰椎にも異常が見られなかったりすることが多かったそうです。

 

腰痛っていったい何なんだろうか、と興味を持って、腰痛が発生する状況を調べてみると、あるパターンが見つかりました。精神的に強いストレスを受け続けて、そのストレスから解放された瞬間、ぎっくり腰に襲われるというパターンが非常に多いそうです。

 

腰痛は多分に精神的なものなんですね。不思議なことに、それを理解すると楽になるんですよ。信じられないかもしれません。私も最初は信じていませんでしたから。でも、腰痛を抱えていて、英語が読める方は、ぜひこの本を読んでみてください。英語はいたって平易です。電子辞書を片手に簡単に読み進められます。

娘よ、ごめん。

ジャパネットたかたの創業者である高田明氏がテレビで奨めていたので、世阿弥を読んでみました。もちろん、現代語訳、林望先生の『すらすら読める風姿花伝』です。

 

最初のページを読んで猛省しました。

 

娘よ、ごめん。キミが凡人なのは、お父さんの教育が間違っていたからなんだね。

 

世阿弥によると、芸事は7歳ごろから始めて、最初はとにかく楽しく稽古するのが大切なのだそうです。

 

私はこれでも一応、翻訳家なので、娘に英語を教えています。始めたのは、娘が10歳をゆうに超えてからです。遅すぎた!

 

最初は楽しく教えていました。娘はその頃、素直でしたから。でも、子供はすぐに成長し、生意気になります。しかも中学になると、成績というプレッシャーがのしかかってくるから、ついつい声を荒げてしまいます。これではぜんぜん楽しくなくて、世阿弥の考えからすると、大失敗ではないですか。

 

この本を読んでからは、なるべく怒らないように気を付けています。しかし、事あるごとに娘をしかりつけてしまいます。だって、不甲斐ないんだもんな。

 

たぶん私に甘えがあるのでしょう。娘のために叱っているんだから、分かってくれるはずだし、娘がお父さんのことを嫌うはずがないという甘えが、この失敗の根本原因なんですね。

 

この本を読み進めていくと、だんだんと気分が重くなります。世阿弥によると、35歳くらいまでに大輪の花をきれいに咲かせた人は、その後もなかなか枯れないのだそうです。私は花を咲かせられませんでした。これからどんどん枯れてゆくのでしょう。もう枯れ果て、朽ちてしまったのかもしれません。このブログ、誰も読んでくれてないみたいだしな。あーあ。