スラムドッグ$ミリオネア
どんな物語だって、舞台となる社会があって、人を引き付けるために誇張して作っているわけですよね。
たとえば、ドラえもんの舞台は小学生社会です。古今東西を問わず、そこには気弱で不器用な奴がいて、味方にすれば頼もしいけど敵に回したらおっかないガキ大将がいて、どうにも憎たらしいひねくれ者がいて、カワイ子ちゃんがいます。それぞれを誇張したのが、のび太であり、ジャイアンであり、スネ夫であり、しずかちゃんであって、その誇張があるからこそ、ドラえもんは面白いのです。
『スラムドッグ$ミリオネア』の舞台はインドのスラムです。そのスラムを誇張して描いているはずだから、2分の1か3分の1に割り引いたものが現実のスラムなわけです。けど、100歩譲って4分の1に割り引いたとしても、現実のインドのスラムって恐ろしい!
日本に生まれてよかった。給料が安くて文句言いたくなるけど、世界的に見れば、こんな僕だって大金持ちだもん。うちの親父はとんでもない奴だ、こんなに酷い奴はいない、と思っていたけど、世界にはもっと極悪非道な奴がいるんだよな。そんなふうに思える映画でした。
それで肝心の『スラムドッグ$ミリオネア』のストーリーですけど、その題名から簡単に類推できますよね。
きみに読む物語
田舎の貧乏な青年が、都会の大富豪の娘と恋をする物語です。
ロミオとジュリエットみたいなこの物語は実話なのだそうです。でも、どこまで実話なんだろう? 最後のシーンは、怪しいな。
若い人にぜひ見てほしい映画です。この映画を見て、本当の愛とは何か、よーく考えてほしいです。本当の愛を見つけられたら、いい人生を歩めますから。
この映画とは関係ないけど、本当の愛とは何かを知りたかったら、プラトンの『饗宴』を読んでみてください。
ニュー・シネマ・パラダイス
戦争で父親を亡くした少年は、その村唯一の娯楽施設である映画館に入り浸っています。その映画館で映写技師として働くおじさんは、その少年を実の子供のようにかわいがります。
その少年が成長するにつれて恋をして、兵役義務を果たし、やがて村を出て行くというだけの物語なのですが、なぜか心がジーンとする映画でした。
アメリ
フランス映画はボディーブローのようなもので、後から効いてくるような気がします。
アメリカ映画は、ハラハラドキドキさせられて、最後に問題が解決してスッキリして、よかったよかったで終わるというように分かりやすいのですが、後に何も残りません。それと比べると、フランス映画は難解で、後で本を読んで主人公の心理を確認して初めて作品の良さを理解できるような気がします。
この『アメリ』という作品も、「つまらない映画だな。でも、最後、ふたりでスクーターに乗っているとき、アメリの幸せそうな仕草や表情がいいな」としか感じませんでしたが、なぜか何かが心に引っ掛かりました。その心に引っ掛かっている何かを取り除きたくて、図書館から本を借りて読んでみたら、「これ、いい作品じゃん!」という感じです。
映画と本を両方合わせて楽しんでもらいたい作品です。
キングコング
40年ほど前、父に連れられて映画館へ行き、『キングコング』を見た記憶があります。10歳にも満たなかった僕は、字幕を読めるでもなく、ましてや英語を理解できるわけもなく、ただただ退屈していましたが、キングコングが美女の衣装をはぎ取る場面だけ鮮明に脳裏に焼き付けていました。
あれはどのような映画だったのだろうとずっと疑問に思っていたのですが、レンタルビデオの時代も、ビデオがDVDに変わってやがてブルーレイの時代になっても、なぜか『キングコング』を見るのを忘れていました。
先日、アマゾンプライムに入会して『キングコング』を検索してみると、なんと無料で見れるので、さっそく40年来の謎を解くことにしました。
ずっと昔の映画ですから、撮影技術が未熟で、キングコングの動きがぎこちなかったり、船上のシーンがスタジオ撮影であることがバレバレだったりするのですが、有名な映画だけあって、それなりにハラハラドキドキさせられました。当時の人たちはかなり驚いたのではないでしょうか。
「でも、何かおかしい。たしか小さいころ見た『キングコング』はカラーだった気がする」と思って調べてみたら、映画に詳しくない僕はまったく知らなかったのですが、『キングコング』は何回もリメイクされていたんですね。美女が衣装をはぎ取られる場面はもっときわどかったはずだという僕の記憶は、単なる記憶違いではなかったようです。